第二話では遠藤氏のキャリアの変遷に迫っていこう。遠藤氏が新卒で日本マクドナルドに入社したのは年間出店数が数百という黎明期だった。現場に配属され、高校生のトレーナーにフィレオフィッシュの作り方を教えてもらうところから遠藤氏のキャリアは始まった。
「僕はマクドナルドのアメリカ仕込みのシステムや戦略、事業モデルに興味があったんですが、何よりも一番働いてみたいと思った理由は人だったんです。ピープルビジネスとして人をどう育成して価値を広げるのかということに一番重きを置いて語ってくれた会社だったので、魅力を感じました。
入社したら、まずアルバイトの仕事をすべて覚えるところからスタートして、次にマネジメントですね。全般ができるようになると店長になって、QSCという店舗モデルや人材育成ができて、売上利益が出せると今度は店長から複数店舗をマネージする役職になる、という要領でチェーンマネジメントを学んできました。
ただ、振り返ると、あの頃のマネジメントはかなりのトップダウン型ですよね。部下に対して朝から晩までいろんな指示を出す、今思えば嫌な上司ですよ。でも、そうやって成果を出してきた時代がありました。そして40歳になる頃に大きな転機を迎えました。アメリカに行くことになったんです。」
成果を出し、実績を認められ、順調に出世を重ねていた中で突如本場アメリカへの異動の話が持ち上がったわけだ。当時の遠藤氏は英語も話せず、特にアメリカに詳しいわけでもなかったが、どうにか家族を説得し渡米することになった。
「ミッションはフランチャイズ店舗のGMになることでした。アメリカ人の女性マネージャーが3人いて、80~90人のメキシカンのクルーアルバイトがいる店です。1年目は見習いですが、2年目には店舗運営して業績を出して、そこから出た利益で自分の給与を作らなきゃいけない。
最初の日は怖くてお店に入れなかったです。英語がわからないからまず自己紹介をどうしていいか分からない。それでもメキシカンのクルーと関係性をつくらないといけないから、英語よりもスペイン語を先に覚えました。彼らは僕のキャリアなんか知らないから、『こいつハンバーガー作れるのか?』って目で見てくるわけです。こっちはもうとっくにマネジメントまで経験して実績つくってきてるのにそう言えない。悔しかったですね。
毎日、家に帰ってスペイン語を勉強しました。ある日フライヤーをやっていて手が離せないときに『ポテト2ケース持ってきてくれ』って必死に昨夜覚えたスペイン語をひねり出したんですね。『セニョール、ドス・パパス・プレファボール!』って言ったら『オー、シー!』って言って持ってきてくれて、それをきっかけにコミュニケーションが円滑になって、少しずつ認められるようになりました。
家では今度は必死で英語を勉強して、2年目には本社の人に英語でビジネスプランをプレゼンするような機会もありました。」
アメリカでは時間管理が徹底しているので定時に帰宅できるが、今まで仕事一筋だった遠藤氏は、家族との関係を作ることから始めることになった。車の運転ができない奥さんをスーパーに連れていき、子供を病院に連れて行くにも右往左往。生活のひとつひとつが苦労の連続で、家族に愚痴を聞かされれば「俺だって大変なんだ!」と言い返すような場面もあり、家庭での喧嘩は日常茶飯事、まさに体当たりの毎日だったという。
「いかに日本で楽をしていたのかってことですよね。個の人間としての人間性や関わり方を忘れて、ポジションで仕事をしていたんだと気づきました。あとは家族とのいさかいを経て、日本ではこんな会話は一言もなかったなと振り返ることができました。環境が変われば自分の強みや課題がはっきり見えてくるものだと実感しました。
その気づきを元にしてチームをつくって、プレゼンテーションを本部にして、改装までしました。そうしたらそのお店がセントラルディヴィジョンっていう4,000店舗の中の一位、『QSCアワード』という賞を獲ったんです。僕がやったのは日本流のサービス、ホスピタリティの浸透でした。いかにもアメリカ的な無機質な接客を、お客さんの目を見てスマイルで”Have a nice day!”って挨拶するところから始めて、店舗全体が少しずつ変わっていきました。日本のFCがいくつかある中でも、あの店はちょっと違うぞということで評判になり、受賞に至ったんですね。」
すでに周囲にオペレーションでの影響力を認められていた遠藤氏はホスピタリティについても小さな習慣を積み重ねることで店舗の理想像を具現化し、価値づくりを実現させていった。それが周囲の評判を呼び、評価を獲得したのはむしろ当然のことだったのだろう。
その後は現場を離れセントラルディビジョンの営業本部で2年間グローバル戦略を学び日本に帰国、日本マクドナルドの執行役員として経営に携わることになった。現場で学び、身に着けた数多のノウハウや経験値は遠藤氏の血肉となり、その後のキャリア構築やひらまつの経営に存分に活かされている。この後に目指すのはどんな世界なのだろうか。
「僕は『アウト・オブ・ボックス』という言葉を常に念頭に置いています。ファーストフードのマクドナルド、ファミリーレストランのすかいらーく、老舗ベーカリーの麻布十番、高級スーパーのクイーンズ伊勢丹、そしてひらまつっていうふうに、食に関わるという意味では一貫性があるけど、常に箱から出て行ってるんですね。次の箱はまだわかりませんが、これまでの知見を日本経済の発展に活かせないかと思っていて、地方創生や後継者育成に貢献していきたいと考えているんです。
地方に行くと、すごくいい事業や価値づくりをしているのに、その価値をうまく伝えられなくて、事業が成長しきれていなかったり、低迷している企業さんが沢山あり、その多くは後継者がいないという課題があります。これは食の世界に限らず、異業種であっても同じです。
価値を正しく効果的に伝えるために、各地域が持っている価値を連携させることによって、地方創生につなげていきたいと考えています。地方が元気になると、日本全体が海外に向けてアウト・オブ・ボックスができるんじゃないかと思いますし、すごくワクワクします。」
次のステージでは自身が食からアウト・オブ・ボックスし、一企業から地域という単位でのアウト・オブ・ボックスを手掛けようとしている遠藤氏。日本から世界へ向けて、まずは地方を元気にしていくという目標に、聞いているこちらもワクワクしたひとときだった。