第二話では加治氏のキャリアの変遷に迫っていこう。飲食の世界で働くことになったきっかけは高校時代のアルバイトであったという。さまざまな企業での経験を経て、物語コーポレーションの社長を務めた後、起業に至った加治氏の軌跡と現在の思いについて伺った。
高橋:こちらでは加治さんのパーソナルストーリーを掘り下げてお伺いできればと思います。まず飲食の世界で働き始められたきっかけを教えていただけますか。
加治:高校2年の夏休みに、新宿中村屋サロンという店がありまして、そこで1か月間アルバイトをしたんですね。その時の体験が衝撃的でこれは自分の天職だと思っちゃったんですね。
高橋:学生の時に飲食でアルバイトされる方はたくさんいらっしゃると思うんですけれども、何が天職だと感じられたんでしょうか。
加治:中学くらいからギターを始めて、高校の時にバンドをやっていて、プロになろうと思っていたんです。で、中村屋のお店で働いた時に、コックさんとかウエイトレスさんとかバーテンさんとか違う仕事の人たちがひとつの空間を作っているのがバンドみたいだなと思って。この空間づくりというかそれにすごく魅せられたんですね。外食という体験もそれまであまりしていないし、なかったですからね、当時ね。
高橋:消費者としてもあまりなかったと。
加治:経験ないですよね。もんじゃ焼き屋とかラーメン屋とかしかない時に、高校2年であの体験をしたときにこういう世界があるんだ、自分はバンドをやるけど、こういう店を将来作って、端っこにステージも作って、ライブハウスみたいなのをやりたいなとその時思っちゃったんですね。プロはやっぱりちょっと無理かなというのもあったんで。
高橋:音楽の世界は厳しいですよね。
加治:曲が作れないから。プロでやるには0→1ができないとダメなんですが、そういうのはないなと思ってたので、飲食と音楽が合体したような道があるなと思って活路を見出したんですね。
高橋:初めて伺いました。バンドと飲食の運営が同じようなものに見えたというお話。
加治:飲食業を同じメンバーで同じメニューでやっても昨日と今日と営業状態が違えば毎日がライブじゃないですか。
高橋:シフト毎回違いますもんね。
加治:人で基本価値が変わるわけだから。そういう意味では50年経っても構造的なものは同じだなと思うし。昨日失敗しても今日反省して気を付けたら挽回できるんですね。
逆に、昨日までよくても、今日なめてかかると失敗するわけですね。飲食業というのは落ち着きがなくて心騒ぐことばかりなんだけど、それが面白さでもあるんですね。
高橋:飲食業界に入られて、若い時ってどういう気持ちで働かれていたんでしょうか。
加治:本当はコックさんになって調理を学んで、それからホールに出て経営を学んでという順番で考えていたんですけれども、最初配属されたのがホールだったんですね。ホールというのはウェイターなんですけれどもコーディネイターでもあるし、プロデュース業務みたいなものもたくさんあって勉強が必要でしたね。
例えば、最初はフランス料理のレストランだったんですけれども、先輩たちはみんなフランス語もワインも料理も勉強するし、コックさん以上に料理を知らないと説明ができないんですね。ボキャブラリーも勉強するんですよね。こんなに勉強しなきゃいけないんだとびっくりしたし、もっと早く頭角を現せるだろうなとなめてかかったんですけど、全然そんなことなくて、一緒に入った連中がどんどんやめちゃうし、まあでもなんとか続いたんですね。
高橋:当時の職場を想像するに今よりももっと労働環境が厳しそうだというイメージもありますし、上意下達的な雰囲気も強かったと思いますし、なかなか心穏やかに働くというのは難しくなかったですか。
加治:厨房とホールって厨房の方が立場的に上なんですね。厨房が上にあってその下に支配人がいて副支配人、主任、ヘッドウェイター、ウェイター、バスボーイ、ペテ公というのがあってですね。一番最下層なわけですよ、入った時には。毎日ワゴンを引いてお客様のところに料理を運ぶというのを朝から晩まで二年間やるわけですよ。だからよく続いたよなって思うんですけれども、なんかね、負けたくないとか、大学行かなかったんで馬鹿にされたくないとか、あと舐められたくないとかそういう曲がった根性というか(笑)そういうのが強かったんですね。
高橋:いやいや健全な反骨心ですよね。
加治:人よりも勉強しなきゃとか人よりも働かなきゃとか、人よりも早く覚えなきゃとかそういう意識がすごく強かったですね。
高橋:20代の頃も、3回ぐらい職場を変わられていますが、何かきっかけがあるんですか。
加治:30過ぎの時にお店をやろうと思っていたので、個人店で経営を勉強しなきゃいけないし、ファミリーレストラン的なことも知らなきゃいけないし、それからWDIというところではエンタメの勉強をしたかったんで、そういうふうに学ぶことが目的の転職でした。給料は下がりましたけどね。
高橋:自分でお店をやろうというのは方向転換されたわけですか。
加治:グリーンハウスに入るときに、スポンサーに出してもらってやる選択があったんですけれども、そのときはグリーンハウスに入ったんですね。なぜかというと創業者の経営理念があって、25周年史みたいなのを読んだら感動したんですよね。こういう人に一度仕えて、ちゃんと教えを受けてそれから経営しても遅くないよなと思って。
それまでは技術や知識を覚えるとか経験積んで人よりもうまくできるとかそういうことばっかりに興味があったんですけれども、そうじゃなくて、こういう経営理念があるんだと、経営理念という言葉を初めて知ったんです、その時に。それでグリーンハウスに入って、理念経営をずっとやっていたんで、物語に入ったら親和性が高かったんです。
高橋:20代の時にはスキル・知識を一気に詰め込んで、30代にグリーンハウスに出会われて理念経営の大事さ、そこから物語コーポレーションへつながっていくわけですね。
高橋:いざ物語さんで社長に就任された時に、この流れを受けて何かお考えになられたことはありますか。社長というポストは初めての重責というお話だと思うんですけれども、それまでと色々な意味で違うのかなと思うんですよ。
加治:第一部(事業運営編)でお話ししたようにみんなと仲良くなれたということは非常に重要なことだったんですが、なんで仲良くなれたかっていうと彼らに迎合したわけではなくて、自分の思っていることや、自分のすべてを物語に注ごうと思っていたので、それまでの人脈とか知識とか何でもかんでも物語に生かそうという気持ちはもちろんありました。
もうひとつは、出来れば自分が入ってからいいことは自分の手柄にしたいし、悪いことは俺のせいじゃない、元々こうだったんだと過去のせいにしようとすればできないことはないんだろうけど、それを全部やめて、いいことも悪いことも特に悪いこと全部自分のせいにしようっていうふうに思って入ったんですね。もちろん当時はいろんなことありましたから、社内の問題とか迷いも壁もいっぱいあったんだけど、そういうのも全部自分のせいにしようというふうに思って関わったんで。
高橋:特にご就任の前にきっかけがあるもので、それが原因となって起こっている問題をご自身のせいにするというのはなかなか感情的にも理屈としても難しいような気もするんですけれども。
加治:それがきっと社長なんだろうなと思ったんですよね。昨日入ろうが十年前からいようが、会社のすべてに自分の責任だって思えるかどうかというのが非常に大きいかなと思うんですよね。少なくとも自分は創業者でもないしプロパーでもないし、彼らのように今まで作ってきた人間ではないわけだから、できることといったら全部俺のせいですって言えることしかないですよね。そう思って自分がやる、みんなと一緒にやって行くということしかないですよね。
高橋:ますますかっこよさが!
加治:マジですか!それしかできない(笑)結局はね。
高橋:何かそれはグリーンハウス時代なのか、何かそう思おうと思ったきっかけはあるんですか。
加治:僕はグリーンハウスの中の外食の部門をやっていたんですけれども、経営理念に照らし合わせて業態開発をしたり、事業部の運営をしたり、本当にその部分に関しては自分が社長のようなつもりでやっていたので、社長よりも俺の方がこの事業を真剣に考えているとか、この事業の責任を負っているとか、そういう自負はあったので。
高橋:事業部長としてされていたオーナーシップというのをそのまま今度は会社全体に対してオーナーシップを持とうと思われてご入社されたということですね。
加治:僕の事業部はみんな、「加治さん」だったんですよ。役職呼称は禁止ねというふうにやってたんですね。だからみんな加治さん加治さんといって、ファミリーみたいにやっていたんですね。
高橋:そうなんですね。そこは物語さんに入ってから持ち込まれた文化ということですね。
加治:はい。小林さんは当時社長だったんですね。で、今度会長になるんですけれど、何十年も「社長」と言っている人にいきなり「小林さん」って言いづらいじゃないですか。
高橋:でもそれ結構インパクトありますよね。
加治:ありますよね。小林さんにそうしませんかって、会長になって僕が社長になる時にインターバルが半年あったんですけど、その間に言ったら、「やれるもんならやってみな」って言ったんですよ(笑)。「俺もそれいいと思うよ」「なかなか難しいんだよ」って言ってたんですけれど、やっちゃったんですよね(笑)
高橋:そういうのすごいですね!小林さんが成し遂げられなかったことを最初に。しかも、毎日、日々、全員とのコミュニケーションの話なんでなんか難しいですよね。
加治:僕の場合は「加治さん」だから4文字だから言いやすいんですよ。「小林さん」というと6文字発音しなきゃいけないから長いんですよね。最初から「加治さん」でやれたんでそれはよかったですよ。
高橋:株式会社ズキュンについてなんですけれども、どのような思いで設立されたんでしょうか。
加治:経営の形態として一つ「理念経営」もう一つは「健康経営」「デザイン経営」この手法があると思うんですけれども、それを合体したような会社がいいなと思っていて、物語の時はそういう意味では「理念経営」と「デザイン経営」の合体化みたいなことをやっていたんです。グリーンハウスは「健康経営」なんですね。食と健康をデザインするという会社なんで、そういう意味では「理念経営」と「デザイン経営」と「健康経営」の三位一体を目指しているような会社だったものですから、それをもう1回、自分の中にあるのでやりたいなと思っていたんです。
ズキュンで今やっているスリランカカレーというものに出会って、スパイスですね、薬膳的な要素なんですけれども、これを毎日食べて健康になるというテーマでやってます。開発した人間が、スリランカに他の仕事で1か月行ったときに、朝昼晩このカレーを食べていて、帰ってきたら体調も良くなっていて花粉症も治ったっていうんですよ。エビデンスはないんですけれども。
スパイスは1個1個効能があって、混ぜて食べるというやり方なので、これは本当に毎日食べて健康になる外食だなと思って、しかもテイクアウトにもデリバリーにもいいと。冷めてもおいしいというのがあったものですから、これをぜひ世の中に広めたいなと思って始めました。
高橋:食と健康をデザインする会社。具体的にはこのスパイスカレーということですね。
加治:「この1皿で人生が変わる」こういうテーマでやっています。
高橋:今、ドリームリンクの会長もされていると思うんですが、こちらの事業ではどのようなことをしているんでしょうか。
加治:ドリームリンクは10年前から社長とお付き合いがありまして。僕が最も尊敬して嫉妬して、嫉妬するくらいクリエイティブな、要は0→1の集団なんですね。今、80店舗くらいでやっていますけれども、ブランドだけで35くらいあるんですね。郷土料理からカフェからパンケーキ屋さん、客単価10万円のレストランやら、すごいポートフォリオがあります。どの業態もどのお店も一歩入るとその世界観の魔法にかかるという、言ってみればディズニーランドみたいな、そういう意味ではライブを毎日やっているようなお店です。郷土料理の店ではさんさ踊りとか津軽三味線とかいろんなエンタメをちゃんと入れて、最もクリエイティブな飲食企業だなって思ってずっとお付き合いしていたんです。
ただコロナですごく大変なことになってしまって、秋田の会社なものですから、コロナの間も社員、アルバイトの方にずっと給料を払い続けていたんですね。借り入れして。
高橋:すごいですね。めちゃくちゃ社員想いですね。
加治:それにも思想があったんですけれども。結果的にはそれは債務超過になっていくわけですね。でも債務超過を解消して、最もクリエイティブな日本の外食の面白い企業がコロナで大変な目にあっているのをなんとか一緒に再生させて、できたらIPOくらいまでいきたいなと思っているんです。そこまでいけたらものすごく価値あることだし、僕は外食業界にそういう実績を持ってお返ししたいなというふうに思っているものですから、一緒にやっています。
高橋:なるほど。じゃあもう、バンドがそこらじゅうにあるようなお店で。
加治:そう。バンドのような会社。
高橋:0→1の集団というだけで時価総額がIPOの時につきそうな感じがします。
加治:ぜひ秋田にいらしてくださいよ。25軒くらいご案内しますよ。
高橋:お腹空かせていきます(笑)。ありがとうございました!